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INFO:
今日は元彼の命日だった「先輩、結婚してたんですか?」職場の飲み会で、後輩に言われた_「ああ、これ?」私は左手に付けていた指輪を右手で覆った_私は、結婚なんてしていなかった_左手に付けた指輪は、2年前に交通事故で亡くなった彼氏の遺留品だった_命日である今日は、ひとりでお酒でも飲んで、彼が遺した婚約指輪に乾杯でもしようと思っていた_けれど、急遽職場の飲みに誘われて、ひとりでいるよりは楽だと思い、誘いに乗った_誘いに乗ったけれど、指輪は外しておくべきだった_「つぎ、なに飲みます?」対面に座る後輩が、タブレットを操作しながら言った_「どうしようかなあ」私が迷っていると「ぼくのおすすめ、ありますよ?」と、後輩が私の目を見て微笑んだ_「じゃあ、それにしようかな」私は、空になったグラスをテーブルに置いた_すぐに店員さんがやって来て「こちら、ギムレットです」と、同じ色のお酒を私たちに向けた_「ありがとうございます」と、後輩は両手で受け取って片方を私に差し出した「どうぞ」私は「ありがとう」と、グラスを受け取った_「これ、好きなの?」私はグラスの水滴を指でなぞりながら訊いた_「いいえ、はじめて飲みます」「おすすめって言ってなかった?」「はい、いっしょに飲んでみたくて」後輩は笑みを浮かべて、お酒を口にした_私もグラスに口を当てて、ひと口飲んだ_グラスのふちに、後輩の目もとが見えた_私を見つめて、目を細めていた_「先輩、普段はクールなのに、飲み方はなんか、子どもみたいですね?」後輩は、私の手もとを指差して笑った_私は、両手で持っていたグラスを片手に変えて「酔ってるね?」と、後輩に眉間を寄せた_後輩は「酔ってませんよ」と、片眉を上げた「先輩を、笑わせたくて」と、またお酒を口にした_私は口角を上げることなく、水滴の付いた指で指輪に触れた_いまごろ元彼は、天国で私のことを笑っているんだろうか_いつまでも前に進めずに、殻にこもっている私のことを_元彼はよく『辛くなったら、いつでも見捨てていいからね?』と言った_精神的に病むことの多かった私に『俺は、最愛の人になりたいんじゃなくて、大丈夫になりたいだけだから』と言った_自己犠牲の激しい、元彼らしい言葉だった_「先輩、見てください」後輩が、口もとに指を当てて私を見つめていた_「なにしてるの?」「間違えて、枝豆を殻ごと食べちゃいました」「やっぱり、酔ってるじゃん」私は、思わず笑った_後輩も笑って、そのまま口の中を空にした_「ねえ、食べたの?」「はい、案外おいしいですよ? 先輩も食べてみてください」「なに言ってんの?」「捨てずにぜんぶ、飲み込んじゃいましょ」後輩がさっき頼んだ『ギムレット』それは、遠い人を想いながら飲むお酒だった_きっと後輩は、気づいている_私が、いつまでも元彼のことを捨て切れずに、前に進めていないことを_「捨てなくてもいいんですよ」後輩は微笑んだ「過去もぜんぶ、飲み込んじゃいましょ」そう言って、グラスを手にした「ぜんぶまとめて、愛してくれるひとはかならず現れます」後輩は、微笑んだ「だから、ひとりで抱え込まないでください、たまには吐いてください、ぼくが受け止めます」後輩は、グラスを私に向けた_私は、グラスを左手で持って「じゃあ、ちょっとだけ聞いてもらおうかな」と乾杯をした_爽やかな音が響いて、薬指の指輪が光った_「きれいな、指輪ですね」「そうでしょ?」それから酔いが覚めるまで、胸の内をぜんぶ話した_後輩は優しく頷きながら、時折涙を浮かべた_私の思い出を冷ますことなく、後輩はぜんぶ包み込んでくれた_「大丈夫ですよ、先輩」朝焼けに照らされた後輩の横顔は、私をちょっとだけ前に進めてくれた_「つぎは、ふたりで飲もっか」私からの提案に後輩は「はい」と、空を見上げて「また3人で、乾杯しましょ」と、私に笑顔を向けてくれた_